デッキ解体

朝9時〜午後3時にかけてウッドデッキが解体されました。デッキに作られた花壇の土からは大量のシロアリが出て来たそうです。どうも巣があったようですが、母屋には被害が無いことを祈っています。床下点検を3年毎に行っていて、前回は大丈夫でした。

さて、デッキが無くなってみると広々とした庭。何だか殺風景になりました。

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デッキとのお別れ

長年使用してきたウッドデッキですが、明日で解体されます。自作のテーブルにも腐った箇所が目立ち、これともお別れすることとしました。デッキの後はリビングを増築します。昨年から計画してきた大計画、両親を呼んで泊まれるような工夫もしていたのですが、今年、両方の父を亡くしてしまいました。こんな壮大な計画をしていたことは知らせていませんでした。

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訃報 父との別れ

9月26日の朝、父は眠ったまま起きることなく永眠しました。85歳でした。前日までいつもと同じような生活をして、でも、少し具合が悪いような事を言って早く床に入りました。直ぐに駆けつけました、とても安らかな寝顔のままでした。

今年の秋には富士山を見に行こうと約束していたのですが、それも叶わないこととなってしまいました。でも、たくさん楽しい想い出を残してくれた父、もう少し一緒に旅行をしたかったのですが、「親孝行」は出来る時にたくさんしておかないと、本当にそうですね。

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スタバのマグ

兄から嬉しいお土産をいただきました。米国シアトルにあるスタバ1号店でしか販売していないというマグカップです。人魚のロゴや色合いが全く異なっていて、1971 年の開店当初の面影を感じることができます。兄はコーヒー豆も一緒に買ってきてくれました。明日の朝食はこの大きなマグカップにアメリカンコーヒーを煎れて楽しませていただきます。どうも有難うございました。

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敬老の日、快気祝い

85歳の父と一緒に、兄と私は今夜、都内の天婦羅屋で夕食をいただきました。父の長寿祝い、私の全快(一歩前)祝いと嬉しいことが重なりました。父は大病を患い毎週3回の透析生活、兄の背骨にはチタンのボルト、そして自分は眼を患ってと、誰しもが歳を重ねると何かしら身体のどこかに問題を抱えるのでしょうか。

でも、夕食は楽しい時間でした。冗談を言い合って、そしてお互いを労ってと。男三人、これからも長生きして人生を楽しみたいものです。店が用意してくれたカード、こんな心遣いが嬉しいですね。

 

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眼内のガス

視野にガスと液の境目が見えてきてから変化の様子をプロットしてみました。レベルは目見当です。後で、もう少し計量的なことができたら良かったと思い、丸いものが泡の大きさに合う距離を測ってみました。

毎日、同程度の液体が溜まっていくものか不明ですが、この結果からは、目は真ん丸の球体では無さそうなのですが、非常に適当な実験でした。

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シェーバー

網膜剥離で入院した日から医師は「電気カミソリは使わないで下さい。」と言い、それ以来シェービングフォームを使いながらカミソリでひげを剃っています。聴けば、電気歯ブラシも禁止とか、要は細かな振動をきらっているようです。私はこれまでずーっと電気カミソリを使っていました。今後は電気歯ブラシも使おうと考えていますが、一生、使わないほうが良いのでしょうか?明日、外来診察があります。聴いて来ましょう。

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radiko

眼を患いまして、片目での生活は制限が多く、かなりの時間を radiko を聴いて過ごしています。学生時代はラヂオを聴く時間が多かったことを思い出しています。今はインターネットでラヂオ局の番組を聴くことができます。AM 放送もノイズがなくとても鮮明に聴くことができて助かります。永六輔さんの放送、今でも続いていることに驚いたり、久しぶりに落語で笑ったりと朝の一時が楽しくなりました。

放送局ですから、時々、コールサインと送信電力が案内されますが、インターネットでこれを聴くと何か滑稽ですね、100kW で送信しております、、、。

radiko

 

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病院食

入院中の食事は栄養士が管理していてカロリーや栄養が一定しています。入院当初は 一日2,000kcalの食事でしたが、普段からも小食な自分は1,600kcalに変更していただきました。入院当時の体重マイナス1kgで安定して生活することができました。

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名医も研修医から

網膜剥離はその剥離度合いに応じた手術が行われます。自分の場合は硝子体手術でした。常日頃から通院していたのは某大学病院です。大学病院とあって、入院の説明書には研修医たちが医療行為を行う事が記載されています。
眼科には眼科長医師の元3名の医師がおられます。私の担当医はその3名のうちの男性医師、主治医が眼科長医師となっています。
今、眼の手術と言えば大半が白内障による眼内レンズ置換手術です。この病院でも週に10名前後がその手術を受けています。私のような網膜剥離手術は月に2、3とのことでした。
18:30 手術室に入って麻酔の後、手術が始まりました。執刀医は男性の担当医、その脇に2名の若い女医さんが付きました。眼球に3本の管が差し込まれます。当然2名の医師が連携プレーを行います。眼の局部麻酔であるがために医師たちの会話は全て聞こえてきます。医師の腕が邪魔をして、思い通りの箇所にアクセスできなかったり、途中から難航している様子が伝わってきました。そして「エスコート」の言葉が聞こえました。はてな、と思っていたら主治医の登場でした。しばらくは男性医師を補佐していましたが、「俺がやろうか」で交替。その後は最後まで主治医一人で手術が行われました。
手術を終えた両医師に握手させていただき、手術室を出た時、時刻は22:00になろうとしていました。
良く「名医を選んで」とか言われますが、このような環境で、ベテランが常に待機。若手も正しいタイミングでヘルプを出す。そして育ってもらいたいものです。私の眼が一つの成長の機会に使われたなら、私は幸せです。
会社でもそうですが、組織には成長が必要です。若い発想とベテランの技術を合わせた組織力に期待します。

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