3月11日午後発生した大地震は「東北地方太平洋沖地震」と呼ばれることとなった。観測史上最大のマグニチュード、想像を絶する被害が発生している。被災した当時、自分は京都で商談。帰宅の足は確保できず一泊となった。東海道新幹線は12日始発より定刻運行したものの首都圏の鉄道は乱れていた。それでも京都の宿を出てから5時間で帰宅することができた。
家族も買い物や職場に出ていて、それぞれが無事に帰宅するまで眠ることができなかったが、電話やSMSはタイムリーにつながらず、情報交換はE-Mailに頼った一夜であった。今日の新聞を記録として残しておこう。今の私にできることを冷静に考えて行動したいと思う。